
ライジング! 第79回
「お客さん、着きましたよ」
運転手にそう言われ、松田はハッと我に返った。タクシーはいつの間にかEセサミに到着していた。ずいぶん長い間、回想をしていたようだ。料金を払って車を降り、ビルの入口へ駆け足で向かうと、そこには焦った表情で電話をかける菅の姿があった。菅はすぐに電話を切ると、松田に真剣なまなざしを向けた。
「松田さん、いらっしゃったんですね」
「はい。中に人は!?」
松田の言葉に菅は目を閉じて無言で首を振るだけだった。今日は〝マンガホープ〟のローンチ日だ。そんな日に開発会社のスタッフがいないなんてありえない。
「あと、〝マンガホープ〟の状況を調べたスタッフの話では、ここ数時間にダウンロードしたユーザーに関しては、アプリが全く動かない状態が続いているそうです。なんとか対応策を練らねばいけないのですが、肝心の氷上さんが――」
「見てきます!」
「あ! 松田さん!」
背後に菅の声を聞きながら松田はビルに入り、Eセサミの入口に立つと、受付で会社名を告げた。
「アポイントは――」
「ないです!」
かぶせるように言うと、その迫力に気おされたのか、或いはある程度事態を把握しているのか、ドアが開く音がした。松田は急いで中に入り、以前氷上に案内された開発室へと向かった。しかし――
「誰もいない……」
開発室はもぬけの殻だった。主のいないパソコンのスクリーンセーバーが、呑気にゆらゆら動いていた。
「松田さん……」
背後からいたたまれないような声が聞こえてきた。振り向くと、今にも倒れそうな真っ青な顔をした菅がいる。菅は悲しそうな顔で「大丈夫ですか?」と聞いてきた。松田の顔も真っ青なのだろう。
「菅さん……これは一体どういうことなんでしょう……」
「わかりません。私はアプリが動かないユーザーがいるという話を聞きまして、小柴さんからも同様の指摘があったので氷上さんに連絡を取ろうとしていたんです。でも圏外なのか電源を切っているのか、繋がらずで……」
菅が右手に持ったままのスマホをチラリと見た。強く握っているのか、掴んでいる指先は真っ白だ。
「初日だから対応に忙しいんだと思って、その後も間を置いて定期的に連絡を入れたんですが、何度電話してもなしのつぶてで。ならいっそEセサミに伺おうと思って来たんですが……」
開発室はもぬけの殻だったわけだ。
「社内にいる人に事情は話したんですか?」
「はい。でもみなさん別チームのことは分からないの一点張りで、話にならないんです。……昔はこんないいかげんな会社じゃなかったのに」
菅は悔しそうに唇をかんだ。松田も自然とあごに力が入り、歯が「ギギギッ」と音をたてた。
どうしてこんなことになっているのか。菅は訳が分からない様子だったが、松田には一つだけ心当たりがあった。絶対に信じたくない心当たりが。それを調べるには電話をかけなければならない。松田は重い気持ちでスマホを取り出した。
この作品はフィクションです。作中に登場する個人名・団体名等は、すべて架空のものです。