
ライジング! 第36回
小柴が一人で飲んでいた同じ日、松田は遅めの仕事を終え神保町交差点付近を歩いていた。すると、背後から急に呼びかけられた。
「サンちゃん? やっぱそうだ、サンちゃん!」
太陽という名前からもじったそのあだ名で松田を呼ぶのは、大学時代の友人しかいない。懐かしさを感じながら松田が振り向くと、そこにいたのは夢岡正(ゆめおかただし)だった。
「ドリー! 久しぶりだな!」
お返しのように、夢岡の苗字からもじったあだ名で松田は応えた。
二人は大学で同じ漫画サークルに所属していた友人だった。妙にウマが合い、漫画の好みも合ったので、在学中はよく一緒につるんでいた。長期休暇期間を除いてほぼ毎日一緒にいたといってもいいほどだ。しかし社会人になると互いに忙しくなり、自然と疎遠になっていた。
「サンちゃん最近全然連絡くれねーんだもんな。まあオレも同じか」
夢岡も松田同様、出版社に就職していた。業界大手の大波出版だ。しかも夢岡は漫画誌、週刊少年ウェーブ編集部へ配属され、駆け出しの編集者として働いていた。松田も漫画誌を希望していたので、どことなく夢岡に対しては嫉妬のような感情を抱いていた。
「こっちも忙しくてさ」
「へ~、頑張ってるみたいだな。ちょっと一杯どう? 奢るよ。ちょっとウチの漫画編集部に対する愚痴を聞いてくれよ」
夢岡の言葉を聞いて、松田は胸がチクリと痛んだ。松田が、希望していた漫画編集部に配属されなかった事を夢岡は当然知っている。それなのに、松田に対して「漫画編集部に対する愚痴を聞いてくれ」というのは、残酷なことである。
(ふふふっ……ドリーも変わんないな)
一瞬嫌な気分になった松田だったが、同時に懐かしい気持ちも湧き出てきた。夢岡は良くも悪くも裏表がなく、気付かぬうちに他人を傷つける言動をしてしまうことが多かった。サークル内ではそのせいで孤立したこともあったのだが、松田は夢岡のそんな性格を好もしく思っていた。嘘はつかず、ただ思ったことを言ってしまうまっすぐなヤツなのだ。これほど付き合いやすい人間はいない。
「よし、飲みに行こう!」
「よっしゃ! 焼肉だ! オレ腹減ってるんだよ!」
夢岡はそう言うと、さっさと歩き始めた。人の意見を聞かずに、自分の食べたいものを選ぶ。そんな夢岡の姿を見て、松田は学生時代にタイムスリップしたような気分になっていた。
この作品はフィクションです。作中に登場する個人名・団体名等は、すべて架空のものです。